幼いある日、弟と二人でキャッチボールをしていたとき、近くの銭湯の女湯の天窓にへばりついて覗きをしている男を見つけたんです。急いで家に帰ってそれを告げたところ、母は私たちに「その人にはきっと、そうしなければならない事情があったのよ」と。当時は子どもですから、何のことやらサッパリわからない。でも、人はさまざまな事情や哀しみを抱えて、それでも平然と生きているものなのだと…そういう考えが、いつしか私の中に根づいていきました。